徒然種々
思いつくままに。
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童貫元帥、男らしい人だと思いますよ。
何せ、純粋に軍人(指揮官)としてみるなら、明らかに最強。軍学や指揮のみではなく、天賦の才に恵まれた訳でもないのに剣をも学び、鬼のような努力で宋軍の頂点に登りつめた人ですから。
ただ……
同じ北方作品の、楊家将・血涙シリーズの白き狼・耶律休哥。
彼は恋情とか温情とか形式とか社交辞令とか、いっさいの無駄を殺ぎ落として、純粋に“戦人”である自分の本性のみを研ぎ澄ませて。その結果あくまで無造作に、野生の獣ような哲学と、厳しさのようなものを体現しています。
三国の、張遼。
彼は……義に厚く礼節を知り、忠誠心も厚い端整な武人という型に綺麗に嵌まっていたようですが。(※ 諸々三国作品)
本質が獣でないと、僅か八百騎で十万の大軍のひしめく戦場に突撃なんて出来ませんよ、ね……。戦場って、本来儒学的礼節とはかけ離れた人殺しの場なんでしょうし。
休哥と違い、外様の将という立場に立たされていたので、獣の本質をとことん磨き上げた休哥と反対に、綺麗な上っ面を調えながら、その実休哥と同じ野生の獣が本性であったのではないかな、と思うのですが。
彼らと比べて、童貫元帥。
どちらかというと……本質的には、むしろ繊細で女性的な面の強い人だったのではないかと思う訳です。
そう考える最大の理由は、元帥が元宦官だから、なのですが(苦笑。
それだけではなく。
元帥自身が、矢鱈と“男である自分”に拘る点。
本当に本質が男らしいなら、気にせずとも普通に振る舞えば“男”になっているはずですよね。でも元帥は、肉体を強制的に“男ではない”形にされているせいか、“男”であると無言のまま自他に主張し続けています。小柄な自分を舐めて襲いかかってきた賊徒十二名と虎一匹、一人で無理にもぶった切ってますし。
それから、色々好みが煩い点(笑。
厳しく取捨選択して、自身の麾下をとことん自分好みな軍に創り上げているところが、けっこう女性らしいかな、と。まあ、林冲たちも同じようなことをしていますし、優れた指揮官の特性なのかもしれませんが……。
各地を巡回して眼につく軍人を選抜したり、眼をつけた人材(許貫忠)に対して熱烈ラブレターを送り続けて獲得したり。
そうかと思えば、それで軍人を評価はしないまでも、髭もじゃでがたいの良い軍人を見て外見好みで無いなあなどと思っていたりとか。(嫉妬…?)
公共心が欠けていたり、狷介だったりして自分を思わせる性質を持つ相手を何となく好まなかったり、とか。
(袁明や李富は好きだけれど、聞煥章はいまいち。明るく闊達な呼延灼や趙安の方が、豪傑肌でやや狷介な関勝より好き)
あと、視点や振る舞いがかなり繊細な点。
補佐役の文官として侯蒙を引っ張ってきたり、それぞれの特性に合わせて副官にしたり将軍として独立させたり、相性良さそうな二人で組ませてみたり。部下の欠点を見つけてもずけずけ言ってしまうのではなくて、相手を上手く育てるためには敢えてくちを噤んでいたりとか。
やっていることが、かなり細やかなんですよ、ね。
そして、かなり恐怖心の強いらしい点。
戦が大好きだけれど、その実、戦が怖くて怖くて仕方が無いみたい、ですよね、童貫元帥。戦の前は、恐怖ゆえに全く眠れなかったりする。死ぬこと、負けることが怖くてたまらない。でもその恐怖を克服して戦えば、強く自分を“男”だと思えるから、それゆえに戦が好き。
……全身全霊を込めた、人生と生命と気力の全てを賭した“自分は男である”との自己主張を取っ払えば、童貫元帥、実はかなり、本質的には女性的側面のある人ではないかと思います。
あるがままの姿が、そのままで野生の狼みたいな耶律休哥たちとは、そこが違うのではないかと。
といって、童貫元帥が男らしくない、と思う訳ではないのです。
世界で一番女性らしい女性は、男性の演じる女性だ、ということですから。本質的には“男”ではなくても、誰よりも努力して“男”であろうと努める元帥は、きっと誰よりも“男らしい”はずです。
血の滲むような“男”たらんとする不断の努力が、限界を遥か通り越していつの間にか努力ですらなくなり、通常の状態になっているようですし……。
ただ、肩の力を抜いてしまえば。
童貫元帥、けっこう細々とした手作業を楽しんだり、綺麗な景色や花を見て和んだりもする人なのではないか、と。
何せ、純粋に軍人(指揮官)としてみるなら、明らかに最強。軍学や指揮のみではなく、天賦の才に恵まれた訳でもないのに剣をも学び、鬼のような努力で宋軍の頂点に登りつめた人ですから。
ただ……
同じ北方作品の、楊家将・血涙シリーズの白き狼・耶律休哥。
彼は恋情とか温情とか形式とか社交辞令とか、いっさいの無駄を殺ぎ落として、純粋に“戦人”である自分の本性のみを研ぎ澄ませて。その結果あくまで無造作に、野生の獣ような哲学と、厳しさのようなものを体現しています。
三国の、張遼。
彼は……義に厚く礼節を知り、忠誠心も厚い端整な武人という型に綺麗に嵌まっていたようですが。(※ 諸々三国作品)
本質が獣でないと、僅か八百騎で十万の大軍のひしめく戦場に突撃なんて出来ませんよ、ね……。戦場って、本来儒学的礼節とはかけ離れた人殺しの場なんでしょうし。
休哥と違い、外様の将という立場に立たされていたので、獣の本質をとことん磨き上げた休哥と反対に、綺麗な上っ面を調えながら、その実休哥と同じ野生の獣が本性であったのではないかな、と思うのですが。
彼らと比べて、童貫元帥。
どちらかというと……本質的には、むしろ繊細で女性的な面の強い人だったのではないかと思う訳です。
そう考える最大の理由は、元帥が元宦官だから、なのですが(苦笑。
それだけではなく。
元帥自身が、矢鱈と“男である自分”に拘る点。
本当に本質が男らしいなら、気にせずとも普通に振る舞えば“男”になっているはずですよね。でも元帥は、肉体を強制的に“男ではない”形にされているせいか、“男”であると無言のまま自他に主張し続けています。小柄な自分を舐めて襲いかかってきた賊徒十二名と虎一匹、一人で無理にもぶった切ってますし。
それから、色々好みが煩い点(笑。
厳しく取捨選択して、自身の麾下をとことん自分好みな軍に創り上げているところが、けっこう女性らしいかな、と。まあ、林冲たちも同じようなことをしていますし、優れた指揮官の特性なのかもしれませんが……。
各地を巡回して眼につく軍人を選抜したり、眼をつけた人材(許貫忠)に対して熱烈ラブレターを送り続けて獲得したり。
そうかと思えば、それで軍人を評価はしないまでも、髭もじゃでがたいの良い軍人を見て外見好みで無いなあなどと思っていたりとか。(嫉妬…?)
公共心が欠けていたり、狷介だったりして自分を思わせる性質を持つ相手を何となく好まなかったり、とか。
(袁明や李富は好きだけれど、聞煥章はいまいち。明るく闊達な呼延灼や趙安の方が、豪傑肌でやや狷介な関勝より好き)
あと、視点や振る舞いがかなり繊細な点。
補佐役の文官として侯蒙を引っ張ってきたり、それぞれの特性に合わせて副官にしたり将軍として独立させたり、相性良さそうな二人で組ませてみたり。部下の欠点を見つけてもずけずけ言ってしまうのではなくて、相手を上手く育てるためには敢えてくちを噤んでいたりとか。
やっていることが、かなり細やかなんですよ、ね。
そして、かなり恐怖心の強いらしい点。
戦が大好きだけれど、その実、戦が怖くて怖くて仕方が無いみたい、ですよね、童貫元帥。戦の前は、恐怖ゆえに全く眠れなかったりする。死ぬこと、負けることが怖くてたまらない。でもその恐怖を克服して戦えば、強く自分を“男”だと思えるから、それゆえに戦が好き。
……全身全霊を込めた、人生と生命と気力の全てを賭した“自分は男である”との自己主張を取っ払えば、童貫元帥、実はかなり、本質的には女性的側面のある人ではないかと思います。
あるがままの姿が、そのままで野生の狼みたいな耶律休哥たちとは、そこが違うのではないかと。
といって、童貫元帥が男らしくない、と思う訳ではないのです。
世界で一番女性らしい女性は、男性の演じる女性だ、ということですから。本質的には“男”ではなくても、誰よりも努力して“男”であろうと努める元帥は、きっと誰よりも“男らしい”はずです。
血の滲むような“男”たらんとする不断の努力が、限界を遥か通り越していつの間にか努力ですらなくなり、通常の状態になっているようですし……。
ただ、肩の力を抜いてしまえば。
童貫元帥、けっこう細々とした手作業を楽しんだり、綺麗な景色や花を見て和んだりもする人なのではないか、と。
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