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徒然種々
思いつくままに。

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もう少し。

 もう少し、消化が進んだら、北方公孫勝の話も書いてみようと思います。
 ですが、今回はまず、先から連載しておりますSSA研究会様からお借りしました設定による「黒狼と白狼」の続きをUPすることに致します!
 
 
 ……こんな、何をするにもとろとろマイペースなサイトに。
 
 
 拍手を送ってくださいました方たちに、心よりお礼申し上げます!
 ありがとうございました!!
 
 
 
 
 
 
 
 ―――相討ち。
 
 
 
 梁山泊との最後の戦を、彼はそう位置づけたようだった。
 偶々休哥が身代わりになったが、あの瞬間、童貫自身には楊令の攻勢を防ぐ手立てがなかった。偶々、休哥という部下がいたので“相討ち”。
 
 童貫は、無傷。
 しかし、身代わりとなった休哥は大いに傷つき、生死の境を彷徨う。
 楊令も同じく生が危く、しかし彼の仲間たちは彼が望んだ通り、彼という“頭領”がどうなろうと戦意を失うまいと懸命の牙を剥いている。
 
 そういった状況を全て鑑みて、童貫は己の最後の戦を相討ちと結論付けた。
 十年前、つけられなかった決着が遂についたのだ、と。そう言い切って、彼は淡々と軍を退いた。
 
 休哥も、その後を追った。
 
 宋の人間たちは多く、童貫の後継者を休哥と見なしていたようだが、休哥自身にそのつもりはなかった。 
 脹らみすぎた宋禁軍は何処か印象が鈍重で、軍人としての休哥の意識にしっくりとこない。おまけに宋では政事の腐敗臭もきつい。それが軍へ波及するのを何とか防いでいた童貫・侯蒙の戦線(ライン)が消えれば、禁軍もあっという間に腐り果てるのは眼に見えていた。
 そんな軍全体の衰退を回避するべく奮戦する意欲が、休哥には欠けていた。だいたい、過去の記憶を持たないせいか、彼にはどうも宋という国に対する執着が薄いのだ。行き場のなかった自分を拾い、庇護し育てた童貫が退役するのなら、敢えて軍に残る意欲など持てなかった。 
 失われた片腕と肺の病が、退役のいい口実になってくれた。 
 
 そして、彼は童貫に附いて山中に入った。 
 
 過去に起きた事故のせいで昔の記憶を持たない休哥は、当然ながら戻るべき故郷もまた持っていない。帰る場所のない彼の身の上を直属の上司たる童貫は知っていて、今後の身のふり方が決まるまで傍にいろと、言ってくれたのだ。
 その言葉にとりあえず甘えて……そして結局、彼は童貫が山中に結んだ庵にそのまま居ついているのだった。 
 
 
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