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強烈にネタバレですので、隠しますね。
とりあえず、いったんこれだけ書きました。
色々まだわだかまっているあれこれは、また改めて……。
禁軍総帥・童貫の死。
知っていたと思います。
北方作品では、史実では死ぬはずの人物が、死んだことになって死の場面を生き残ることが多々ありましたが、この場合、童貫は死ぬのだとちゃんと私、知っていたと思います。
俗世を生き抜いたと言い切って、戦いが生きがいだったはずなのに、退役後の静かな暮らしを頭に思い浮かべていた童貫。
茶の味を知り、幕舎を支度させて、脚を兵に揉ませるようになっていた。苛烈な眼を閉じると、周囲の人がハッとするほどに老いてきていたのです。それと同時に、何かから解放されたように、元帥という重い立場を忘れたかのように、軽やかになっていって。
死ぬのだと分かりました。
恐らく、童貫自身それを望んでいたのだと。
七十万の民を殺して心に民への負債を負って、帝への思いを失って。
戦場に全てを注ぎ込むといいつつ、いつの間にか童貫元帥、民の生き生きと生きる立派な国である梁山泊に……“楊令”に敗れて死ぬことを望んでいたのではないかと思います。
軍人だから、敗れることを望むなんて決して……自分自身にさえ、決して認められないけれど。だから、楊令を討つと自他に宣言していたけれど、でも、それと同じくらいの強さで、討たれて戦場に果てたいと切望していたのではないかと思うのです。
山の庵での、静穏な生活。
甘くて柔らかい、優しい夢を描いたのは、それと相反する戦場での死を真の望みとして抱いていたからではないでしょうか。
……そんな風に思いつつ。
だからこそ、童貫は決して一騎打ちでは敵わないと分かっている楊令に、周囲いっさい気にせず突っ込んでいったんだと思いつつ。きっと、楊令を斬って梁山泊を倒して、独居の庵を結んでいたら、幸せに似た、微睡むような平穏と、それから何ともいえない孤独と寂寞感を彼は味わうことになっていたはずなんだと思いつつも。
それでもやっぱり、童貫に死なないで欲しかったのです。
孤独で淋しくて、胸にぽっかり塞ぎようのない穴の空いたような……でも穏やかな安らぎのある庵の生活を、彼に営んで欲しかったのです。
童貫元帥の死を知った瞬間、空気を踏んだ気がしました。
哀しいとか嫌だとかいうのではなく、地面を踏むつもりで踏み出した足が、すかっと空気を踏んでしまったような。
それで何処かへ落下するという訳でもなかったのですが。
すかっすかっと、空気を踏んでしまって、歩けなくなりました。進めないんです。
こんな、さりげない描き方ではなくて、もっと突き詰めた……盛り上げた形で童貫の死を描いて欲しかった、というのは、頭で考えた小ざかしい理屈。どちらにしろ、死は死で。
足もとが、すかっと空気になりました。
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