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徒然種々
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今月のすばる。

 んんんー。
 以下、ネタばれ感想ですが。

 


 
 


 ……最近のすばるは、もう本当に辛いです。
 
 水滸伝の頃は、……最終的に志潰えると知っていましたから。
 逆に堪えられたのですが、今度は…今度も恐らく歴史からして国破れると分かっているのですが、でももしかしたら…とも、思わざるを得ない状況で、でもでも、やっぱりもうダメだ崖っぷちだという仄めかしのようなものが芬々と絶えず梁山泊の周りを色濃く漂い続けて。
 
 苦しい、です。 
 やっぱり、梁山泊の人たちが凄く凄く好きですから……。
 
 一人一人に貌があって、思いがあって、かけがえのない“一人”であることが直接的な表現に拠らず、全体の流れのなかで表現されていて。
 同時に、その“かけがえのない一人”、どれだけ大切でも、失えない存在でも、それでも戦やその他の出来事のなかで、あっけないくらい容易く失われてしまうものでしかないんだ、と。
 
 生きている彼らの姿を見て、嗚呼好きだなあと思うたび、容赦なく奪われてしまうのではないかと同時に胸が痛いです。
 
 ……楊令たちが童貫元帥のことを忘れないでいてくれるところ、後、今月とか、楊令が元帥ともっと別の出会い方をしたかった…というような意味のことを秦容に語ってくれていたところ。
 
 そゆところ。
 嬉しくて、ほわっと頬が弛んでしまうのですが。 
 
 全般的に、梁山泊の苦しい今後が予想されてはらはらし通しの此処最近のすばるです! 
 
 
 
 えと、以下はその、はっきりと悪口と言いますか。
 愚痴、と言いますか…な代物になってしまうのですが。
 
 
 
 上であんなことを書いておいて何なのですが。 
 
 
 
 ……戴宗ファンの方、ごめんなさいですが。 
 哀しくない……。
 
 
 戴宗、死んでしまいました。
 
 
 ……此処最近、急激に増えてきた死にネタ、どれもこれも、凄く辛いのですよ、ね。童貫元帥の時は猛烈に―――分かっていたのに、覚悟していたはずなのに、足元のスカッと空洞になるような衝撃がありました。ファンだから当たり前ですが。簫珪材の時も、……退役して自由になって欲しいと願っていましたので、あの死に様は凄く虚しくて、哀しかったです。
 
 でも、そういう好きで注目していたキャラだけではなくて。
 
 当たり前に存在していたキャラ。
 出てきたら、読んで、愉しんで、出てこなかったらその間ずっと忘れているようなキャラ。
 
 そゆキャラでも死んでしまうと……あ、もう次から絶対会えないんだ、と思うと、びっくりするくらい辛くて。改めて“かけがえのない一人”を実感してしまいます。
 何気なく触れ合っていたキャラでもそうなので、大ファンというほどでなくても、何となく肩入れしていたキャラが消えてしまうと尚更、辛くて。
 
 辛くて、辛くて辛くて。
 
 もう読むのが辛い、でも読まずにはいられない、という感じでここの所、読んでいたのですが、すばる。
 
 
 戴宗…、死なれても今さら哀しくない……。
 
 
 もともと、戴宗の致死軍に対する対し方、侯健父子に対する対し方、嫌いでした。―――それこそ何様な言い分ですが、どうしても「何様?」と思えるところがあって。
 ……それは、致死軍というのは、志のために名も無く朽ちていく、穢れて捨石になって消えていくことを選んだ存在なのですから。だから、その致死軍を道具として突き放して使うのは当然なのでしょうが、その、公孫勝を初めとするほかの幹部連と、戴宗の“道具扱い”の仕方が明らかに違った気がします。
 
 ―――楊令伝当初、酷く評判の悪かった呉用が致死軍を道具扱いする……それは、致死軍の“機能”を最大限使うために、結果として致死軍という人間集団の人間部分が切り捨てられている、“道具”にされているという感じ。
 戴宗のは……道具なんだから道具にするんだ、という感じだったような気がするのです。
 
 そして。
 
 侯真に対する態度。
 徐絢に対する態度。
 
 ―――李媛を死なせたのは侯真ではなく、戴宗だと思います。
 
 幾ら公私を分けるべきだからといって、幾ら致死軍は“道具”だからといって、あんなことをされて、云われて、その後、侯真の方から戴宗と信頼関係が作れるはずがないでしょう。生きた人間なんですから、梁山泊の戦士だって。
 和解…とまでいかなくても、少なくとも歩み寄りが必要ならば、それは戴宗の方からなされるべきだった、と。
 
 侯真は戴宗を信頼出来なかった。
 だから、李媛が襲われていると告げた戴宗を疑い、裏づけを取ろうとした。
 そのせいで、結果的に救援が遅れて李媛を助けられなかった。
 
 
 ―――最初に信頼関係をぶっ壊した戴宗のせいでしょうよ!
 
 
 侯真が自分の責任だと思って自分を責めるのは当然でしょうが、どうしても自分、「戴宗のせいでしょう!」という思いが拭いきれません。 
 
 今さら哀しくなれないです、戴宗に死なれたからって。 
 
 ……此処まで強烈にこう考えてしまう辺り、強烈にキャラの立っているキャラだったという証拠でしょうし、もったいないなという気はしますが。
 その、“死”の哀しさ辛さというのは、他のキャラで充分――も、正直いって十二分すぎるくらいに――表現されているのですから、此処までキャラの立った戴宗にはむしろ、生き永らえることの醜さ、醜く老いて尚死に切れない虚しさ…更にその先、やがて放り出せないからと厭われつつ若者の背に背負い込まれていく、そうならざるを得ない弱さ哀しさのようなものまで、示して欲しかった気がします。尊敬されつつ老いていく、立派に年経ていく、ばかりではなく。
 
 呉用は、尊敬されつつ、の方面に転じていますしね。
 宣賛は、かつての呉用タイプで必要性は認めれていますし。
 
  
 
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