徒然種々
思いつくままに。
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えと、しつこい…かもしれませんが。
ネタが浮かんできて、書きたくてたまらないので書いてしまいました。
えぇと、「onion plus」のsaki 様の、女体設定をお借りして、北方水滸伝女体パロ話です。
えと、「後宮百合譚」シリーズの一つ、になります!
……こんな駄文サイトに、拍手、どうもありがとうございますッ!!
心よりの、御礼を!!
単に、気が合う。呼吸(いき)が合う。
それだけでは、済まされない何かがあった。
―――戦場において。
晁蓋は童貫が解るし、童貫は晁蓋が解る。
互いの動きが傍目にどれほど無謀と見えても、互いにだけは互いの見えているものが見え、感じているものが感じられる。そして互いの思惑を察し、咄嗟にそれを補うべく動き出せるのだ。
魂の底から二人は通じ合える―――ただ、戦場においてのみは。
敵を引き付け馬首を返すその刹那の時機(タイミング)さえ、間(はざま)に紗(うすぎぬ)一枚挟まぬ明瞭さで解り合っていた。
戦場の、比翼。
男で、個人の武にも長けている。
晁蓋が戦術家としての側面をやや強く持つのに対し、女で膂力や体力、武術の技量に欠ける童貫は、心もち戦略面に意識が傾く。
その微妙な違和も、互いが互いをより補い得ると本能で察するがゆえか、むしろ互いの吸着剤となっていた。
『少し、妬けます』
ぽそ、と。
呉用が一度、本音を洩らしてしまったくらいだ。
晁蓋と童貫の間に、男女としての感情……つまり、恋情がある訳ではない。
童貫の中に替天行道の志が根付いている訳でもなく、二人は真の意味では同志とさえ言い難い。本来的なつながりの深さでは、到底晁蓋と呉用のそれに敵うものではないのだ。
それは呉用自身、重々承知しているが、
『私は…どうも、実戦では役立たずのようですから』
あの人が熱く血を滾らせる“戦”において、隣に並び立つことが出来る。
貴方が少し羨ましい、と。
そんな風に呟いて、彼女はほんの少しだけ、淋しげに微笑っていた。
情や志が、介在する訳ではない。
ただ、才……互いに衆に抜きん出た戦の才を持つがゆえに、他には中々理解されがたい天才同士として理解し合える。
晁蓋と、童貫だった。
優れた指揮官になれるかどうかは、天与の才があるか否か、もしくは重厚な経験を積んだか否か、にかかっている。―――実戦経験には乏しい童貫ながら、彼女は紛れも無い天与の戦才を持っていて、戦場において晁蓋と一対の存在となっていたのである。
しかし、それを理解できるのは、一定以上の能力のある軍人か、もしくは呉用や宋江のように、晁蓋らと日頃深く接している者だけ。
大概の人間は―――戦場において比翼の働きを見せる二人、晁蓋と童貫の関係を、晁蓋の“主”に対して童貫の“従”と捉えている。
童貫は、女だから。
恋い慕う男――晁蓋――のために戦場を駆り、相手が恋い慕う男であるがゆえに、その意図を巧みに察して補い従っている。
そのように、見ていた。
格別に、都合の悪いことではなかった。
直接二人とかかわりのある当事者たちはその見方が誤りであることを知っていた。そして、直接のかかわりの無い者たちは、その見方ゆえに、宋の後宮にいた―――元敵方で単に成りゆきによって梁山泊に加わり、おまけに戦はド素人のはずの童貫が、指揮官として戦場に出ることを自然と納得していた。
主導しているのは、あくまで梁山泊の頭領たる晁蓋。彼は戦の天才であり、童貫はそんな情人(おとこ)にただ影の如く従っているだけ。だから、何の問題もない。
そういう理屈である。
“主”と、“従”。
“光”と、“影”。
それで、良かったのだ。
晁蓋が毒矢に倒れ、命に別状こそ無いものの、一時的に戦線離脱をせねばならなくなるまでは。
―――“光”が消えた戦場で、“影”だけが動く訳にはいかない。
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