[51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
送っていただける一つ一つの拍手を、ありがたく頂戴しております!
元気の源!!
閑話休題。
以下の折り返しから、このサイトでリンクさせていただいている、「onion puls」のsaki 様の作成された北方水滸伝現パロの世界観をお借りしまして、ちょっと小話をUP、致しました!
何せ、純粋に軍人(指揮官)としてみるなら、明らかに最強。軍学や指揮のみではなく、天賦の才に恵まれた訳でもないのに剣をも学び、鬼のような努力で宋軍の頂点に登りつめた人ですから。
ただ……
同じ北方作品の、楊家将・血涙シリーズの白き狼・耶律休哥。
彼は恋情とか温情とか形式とか社交辞令とか、いっさいの無駄を殺ぎ落として、純粋に“戦人”である自分の本性のみを研ぎ澄ませて。その結果あくまで無造作に、野生の獣ような哲学と、厳しさのようなものを体現しています。
三国の、張遼。
彼は……義に厚く礼節を知り、忠誠心も厚い端整な武人という型に綺麗に嵌まっていたようですが。(※ 諸々三国作品)
本質が獣でないと、僅か八百騎で十万の大軍のひしめく戦場に突撃なんて出来ませんよ、ね……。戦場って、本来儒学的礼節とはかけ離れた人殺しの場なんでしょうし。
休哥と違い、外様の将という立場に立たされていたので、獣の本質をとことん磨き上げた休哥と反対に、綺麗な上っ面を調えながら、その実休哥と同じ野生の獣が本性であったのではないかな、と思うのですが。
彼らと比べて、童貫元帥。
どちらかというと……本質的には、むしろ繊細で女性的な面の強い人だったのではないかと思う訳です。
そう考える最大の理由は、元帥が元宦官だから、なのですが(苦笑。
それだけではなく。
元帥自身が、矢鱈と“男である自分”に拘る点。
本当に本質が男らしいなら、気にせずとも普通に振る舞えば“男”になっているはずですよね。でも元帥は、肉体を強制的に“男ではない”形にされているせいか、“男”であると無言のまま自他に主張し続けています。小柄な自分を舐めて襲いかかってきた賊徒十二名と虎一匹、一人で無理にもぶった切ってますし。
それから、色々好みが煩い点(笑。
厳しく取捨選択して、自身の麾下をとことん自分好みな軍に創り上げているところが、けっこう女性らしいかな、と。まあ、林冲たちも同じようなことをしていますし、優れた指揮官の特性なのかもしれませんが……。
各地を巡回して眼につく軍人を選抜したり、眼をつけた人材(許貫忠)に対して熱烈ラブレターを送り続けて獲得したり。
そうかと思えば、それで軍人を評価はしないまでも、髭もじゃでがたいの良い軍人を見て外見好みで無いなあなどと思っていたりとか。(嫉妬…?)
公共心が欠けていたり、狷介だったりして自分を思わせる性質を持つ相手を何となく好まなかったり、とか。
(袁明や李富は好きだけれど、聞煥章はいまいち。明るく闊達な呼延灼や趙安の方が、豪傑肌でやや狷介な関勝より好き)
あと、視点や振る舞いがかなり繊細な点。
補佐役の文官として侯蒙を引っ張ってきたり、それぞれの特性に合わせて副官にしたり将軍として独立させたり、相性良さそうな二人で組ませてみたり。部下の欠点を見つけてもずけずけ言ってしまうのではなくて、相手を上手く育てるためには敢えてくちを噤んでいたりとか。
やっていることが、かなり細やかなんですよ、ね。
そして、かなり恐怖心の強いらしい点。
戦が大好きだけれど、その実、戦が怖くて怖くて仕方が無いみたい、ですよね、童貫元帥。戦の前は、恐怖ゆえに全く眠れなかったりする。死ぬこと、負けることが怖くてたまらない。でもその恐怖を克服して戦えば、強く自分を“男”だと思えるから、それゆえに戦が好き。
……全身全霊を込めた、人生と生命と気力の全てを賭した“自分は男である”との自己主張を取っ払えば、童貫元帥、実はかなり、本質的には女性的側面のある人ではないかと思います。
あるがままの姿が、そのままで野生の狼みたいな耶律休哥たちとは、そこが違うのではないかと。
といって、童貫元帥が男らしくない、と思う訳ではないのです。
世界で一番女性らしい女性は、男性の演じる女性だ、ということですから。本質的には“男”ではなくても、誰よりも努力して“男”であろうと努める元帥は、きっと誰よりも“男らしい”はずです。
血の滲むような“男”たらんとする不断の努力が、限界を遥か通り越していつの間にか努力ですらなくなり、通常の状態になっているようですし……。
ただ、肩の力を抜いてしまえば。
童貫元帥、けっこう細々とした手作業を楽しんだり、綺麗な景色や花を見て和んだりもする人なのではないか、と。
豚肉ではなく、季節のこと。
今夜は、仲秋の名月なのだそうです。
ということで、月には団子、すすき、兎。
そのうちの、兎のこと。
……えと、最近、某様のところで、水滸伝の呉用のこと、ドジッ子、ドジッ子、と言ってらっしゃるのを見ていまして。それで、呉用のイメージが現在ちょっぴりドジッ子、なのですが。
それで、小さい頃読んだ絵本を思い出した次第です。メガネうさぎ、とかいう。黒い太い縁のメガネをかけたドジッ子うさぎが主人公の話で、色々ドジをやっては周囲の動物さんたちに「あちゃあ…」と額を押さえられている、という。
そんな、イメージです。
呉用センセ。
で、兎で耶律休哥を連想しろと言われたら、やっぱり……これは異なる某様宅の、ふわふわの白い休哥さんを思い出します。明澄で静かな微笑み、ふわふわの白い髪と白い耳飾、眼の覚めるような紅い着装……。
兎のなかでも特にふわふわで、眼に痛いくらい純粋に真っ白い。
アンゴラウサギ。……まったく毛かりしていないもふもふ状態ではなく、適度に毛を刈ったふんわり状態の。
そゆ、イメージで。
童貫元帥でウサギなら。
やっぱり、ネザーランド・ドワーフ! 世界最小の掌サイズなウサギさんで、凄く凄く可愛いのですが、そのくせなかなか気が強い。飼主さん曰く、引き綱をつけて公園を散歩していたら、犬に突撃かましてくれたので肝を潰した、のだとか。……元帥っぽいなあ、と。
えと、それで。
秋の明月から3ムソの張遼を連想するなら、ですね。
………嫦娥、かなと。
伝説の詳細部分は省いてしまって。
月光と同じくらい冷やかな心の、しかし幻のように美しい月の精。
張遼、既に亡き呂布に心を捧げてしまっていますから。
表面上は礼儀正しく忠誠厚い武将として過ごしていますが、内実は……その感情の曇りのない、醒めた状態が整った容貌を尚更に冷たく、冴え冴えと研ぎ澄ませていて。
多くの人の心を惹きつけながら、誰も手が届かない。
何時か、惇兄が強引に抱き寄せて、冷たく凍えた月の精を地上で引き戻して温めてくれたらいいな、とか。
張遼の場合は、月からそんな感じで連想してしまいます!
自分が好きだから書いているんだ、だからいいんだと懸命に開き直りつつ、でもやっぱり、拍手をいただけないと、つまらなかったのかな、くだらなかったのかな、と他人様の眼が気になってしまったりします。
逆に、こうして……鷹揚に拍手をぽちっと押していっていただけると、途端にはねとぶくらい、元気になってしまったりします。
―――現金な管理人に愛の手(?)を差し伸べてくださる方、感謝致します、どうもありがとうございます!!
えと、以下は添えていただいたメッセージへのレスです!
何となく、北方水滸伝における個人としての武芸の腕前をランク付け、してみました。大体、こういう感じでしょうか?
……九巻からすると、林冲より索超が僅かに弱くて、呂方はだいぶ弱い。郭盛はその呂方とため張る感じで、成長前(楊令伝前)の楊令はその郭盛より強く、呼延灼とはほぼ互角……やや楊令の方が分が悪い。梁山泊最強の林冲より王進先生は僅かに優っていて、でも楊令伝で全盛期を過ぎたと思われる王進先生は成長後で絶頂期の楊令より弱い。
―――なら、こゆ感じかな、と。
1、林冲、楊令(成長後)、王進(全盛期過ぎ)
↓
2、索超、史進
↓
3、呼延灼たち(穆弘や関勝、楊令(成長前)、張清、董平など等)
↓
4、呂方、郭盛、晁蓋
↓
5、宋江
ぐらいの感じでしょうか?
2の索超はややレベル高めで、逆に4の晁蓋はややレベル低め。3はお団子状態、4と5の間には越えられない厚い厚い壁がある、という。……北方水滸伝の宋江殿はそれなりに一応剣が使えるみたいで、戦場外派の宋江がそうなのだから、きっと戦場内派の頭領たる晁蓋殿はもっと強いのでしょう、きっと!
童貫元帥は、このうちの4の半ばから上位くらいかなあ、と。董平を自らの剣で討ち取っていますが、董平が本来の武器を持っていたら敵わなかっただろうと言っておられましたから。
―――ちなみに、全盛期の王進先生は別格!
公孫勝とか李逵とか燕青とか、そういう特殊タイプは王進先生とはまた別の意味で別格ということで。車の性能競争に潜水艦は出場不可です、という。